福厳寺門前橋  柳川市奥州町 ( 福岡県 )

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福厳寺門前橋  柳川市奥州町

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」福岡県の石橋によるデータは、次のとおり。県道776号の一つ東側の市道を通っていて目にした。

№2,836 福厳寺門前橋

柳川市奥州町
橋長:4.4m  橋幅:2.9m  単径間桁橋

福巌寺
「福巌寺は立花家の菩提寺で、天正15年(1587)立花宗茂公により、岳父戸次道雪公の菩捷を弔うために建立されたものです。寺名は道雪公の法名福厳寺殿から名付けられたもので、梅岳山福厳寺と称し、筑前医王寺の緒庵和尚を迎えて開山としました。田中吉政公の代に一時この寺は壊されましたが、宗茂公が再び柳川の領主として返り咲き再建して菩提寺とし、寛文9年(1669)3代藩主立花忠茂公の代に、高僧鉄文を招いて臨済宗黄檗派に改め、今日の黄檗宗の法燈を伝えています。伽藍は、東に山門、北に本堂、南に天王殿、西に鐘鼓楼と開山堂が配されており、本堂前や西側には、柳川城址から移された板碑六地蔵もあります。また本堂裏には、歴代藩主を祀った切妻造・銅板葺の御霊屋3棟がコの字型に整然と並び、更に西側一帯は墓地となっています。この墓地には芥川賞作家長谷健、直木賞作家檀一雄や自由律の俳人木村緑平の墓があります。」