三橋町久末の里塚石(一里)  柳川市三橋町下久末 ( 福岡県 )

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三橋町久末の里塚石(一里)  柳川市三橋町下久末

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。柳川市街国道208号下百町交差点から瀬高・南関への県道443号に入る。2kmほど進んだ三橋町下久末の「一里石」バス停のところに、説明板と建つ。

久末の里塚石(一里) ひさすえ
柳川市 <瀬高街道> 一里石 高約1m 1630年代以降 市教委/現地解説板 /WEB(みさき道人) 整備、ほぼ原位置 (正面)「□□□り 一里」/柳河藩が田中家(60-20)から立花家に替わり、石高が32.5万石から10.9万石に分割縮小された後の地域に一里石があるため、俗に「田中吉政が、柳川城の辻の門を起点として矢部村まで一里ごとに立てさせた」というのは間違い 2 C