平浄庵と板碑  柳川市三橋町今古賀 ( 福岡県 )

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平浄庵と板碑  柳川市三橋町今古賀

現地説明板は、次のとおり。柳川市三橋町の国道208号今古賀バス停先。ジョイフル柳川店の南側の細い道を50mほどまっすぐ進み、左手に入ると今古賀コミュニティセンターがある。この前に板碑が残る。

平浄庵と板碑
平浄庵は、柳川城主蒲池鑑盛入道が高畑に居た時に創立されました。鑑盛は天正六年(1578)に日向(宮崎県)耳川の合戦で戦死した後、当庵に葬られました。その後、僧紅誉によって中興され、瑞松庵の末庵となりました。釈迦堂は蒲池因幡守鑑憲の廟所でした。
ここ平浄庵の境内には、2つの板碑があります。高さ70cmの法華経千部の板碑には、「時永正十五年(1518) 大乗妙典一千部(梵字キリーク)三月吉日」と銘文が刻まれています。一方、高さ150cmの乙鶴姫(鑑憲の妻)の板碑には、「天文八年(1539)己亥十一月廿四日誌施」と銘文が刻まれています。
平成13年3月  三橋町教育委員会