加津佐町・口之津町に残るアーチ石橋 (2) 南島原市加津佐町・口之津町
南島原市加津佐町・口之津町に残るアーチ石橋は、13橋である。このうちの(2)。
中尾橋は最近架け替えられ、解体されていた。上沼田橋はコンクリート被覆されているが、アーチ石橋と思われるので13橋となる。
HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。
写真 8 第 91 番 八畝間(やぜま)橋 加津佐町宮原名内野
明治時代 長さ 約7.0m 幅員 約2.5m
広域農道から内野の案内に沿って上る。
教育委員会の松藤教育次長から教えていただいて出会えた石橋。山口祐造氏の資料では、長さ3.0mとなっていたが、現場であたったら、約7mの長さが有った。
写真 9 第 102 番 崎谷の橋 加津佐町崎谷
昭和初期と推定 長さ 4.8m 幅員 約3.6m
崎谷の集落の中央に架かる橋。
加津佐町教育委員会の松藤次長に教えていただいた(02/07/2003)
写真 10 第 120 番 中 尾 橋 加津佐町中尾
大正7年 長さ 5.9m 幅員 4.5(3.2)m
存在が確認できなかった橋だったが、なんのことはない何度も通っていながら気がつかなかっただけだった。それほど上からは判らない。
口之津町側の富士山登山口から町道に入り、「ろうけんかづさ」の前を通って、鍛冶屋敷橋を通過して中尾に入る、集落入口の山口川に架かる橋が中尾橋。
上流側に1.3m程拡幅されていて、その部分も石橋風にデザインされている。
(南島原市加津佐町の中尾橋は、平成20年3月で新しい橋に架け代りました)
写真 11 第 123 番 沼 田 橋 加津佐町乙(沼田)
明治35年と言われる 長さ 7.6m 幅員 3.5m
この上流の橋もアーチ橋であったようだがコンクリートで被覆されて断定が出来なかった。
草に隠れて下流からは、この橋が石造アーチ橋だとはわかりずらい。集落の中に残る石橋。
【ガイド】中学校から北に上って「消火栓」の看板のある別れ道から左折。集落の中に残る石橋。
写真 12 上 沼 田 橋 加津佐町乙(沼田)
(N氏HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」で、この橋はコンクリートで被覆されているが、近隣に確かめアーチ石橋であると判定されている)
写真 13 第 76 番 オオイカリ橋 口之津町三軒屋区
明治40年 長さ 7.8m 幅員 約4.4m
国道389号線を口之津港から富士山に向かって左側。
島原往還の西目道にあたり、富士山の麓の「オオイカリ橋」は、なかなか秀麗なアーチを見せてくれた。富士山に登りに行こうとして出会えた。(01/12/2003)
写真 14 第 87 番 富士ごんげん橋 口之津町三軒屋区
明治40年 長さ 5.2m 幅員 約2.6m
国道389号線を口之津港から富士山に向かって右側。
富士権現橋が見つからずに口之津町の教育委員会を訪ねたら、親切に土木の担当の方まで同行で案内いただいた。この橋は先年崩れた為、ブロックで補修をして、現在は小規模ダムの排水溝の手前に残っていた。
下流側は、なかなか綺麗な橋の姿を見せてくれる。現在は土を盛り上げているが、もともとは親柱もあり、橋面は石で葺かれていたことが、側面から見て取れる。親柱には「○やま」とだけ読み取れる。富士ごんげん橋とは書かれていなかったようだ。