とふりやの高こるせ石・津口北の端の高こるせ石 石垣市大浜
サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによる説明は、次のとおり。国道390号沿い大浜公民館から国道をしばらく下る。右側に牧場があり、この手前の農道を奥へ進む。牧場ブロック塀のところに「とふりやの高こるせ石」がある(写真1〜7)。
あと1つの「津口北の端の高こるせ石」は、国道をもう少し進む。右に大浜海岸展望所があり、ここから沖合を眺めると、はるか彼方の海上に見えるのが「津口北の端の高こるせ石」のようである。ズームでも良く写せなかった。国道先の橋際から海岸へ出ても、この津波石は沖合に見える(写真8〜12)。
とふりやの高こるせ石
石垣市 (石垣島) とふりや 津波石 1771年 国天然 WEB 牧場の一角にブロック塀や石積みの延長として使用→外側からのみ見学可 明和の大地震の前後に島で起きた不思議な現象を記録した『奇妙変異記』に記載/津波大石と違い明和の大津波によるもの 3 C
HP「石垣島・東海岸の津波石群」による説明は、次のとおり。
高こるせ石(たかこるせいし)
石垣島南東部の大浜(沖縄県石垣市字大浜船着原)の国道390号線に面した個人牧場と畑地の境界にある津波石です。2,000年前の先島津波でコルセ御嶽(黒石御嶽)に運ばれていた石が、1771年の明和の大津波で再び北方に約600m移動したものと考えられています。大中小の3つに分かれており、合計推定重量は約700トン。「奇妙変異記」には、元々、コルセ御嶽の中に2つの石が並んでいたものが、津波で流されてひとつが畑地(「とふりや」という所)に、もうひとつが沖合にそれぞれ移動したと記録されています。
畑地の石は「とふりやの高こるせ石」と呼ばれ、沖合の石は「津口北の端の高こるせ石」と呼ばれています。今回指定を受けたのは、畑地の「とふりやの高こるせ石」の方です。
この津波石は、現在、牧場のブロック塀や石積みの延長上(南側)として利用されています。塀の外側からの見学ができますが、牛がいたり農作物の栽培が行われていたりしますので注意して下さい。
「とふりやの高こるせ石」は牧場の南端に位置しています。沖合中央にあるのが「津口北の端の高こるせ石」です。