屋入の銅山跡 龍郷町屋入
ブログ「大奄美史」紀行による記事は、次のとおり。龍郷町役場から国道58号により屋入トンネルの登り口、屋入バス停から左の海岸沿いの車道に入る。少し行くと、右手に「銅山跡」の案内板がある。この道をしばらく登ると、小谷の木橋を渡った先に、「屋入の銅山跡」の坑口が残る。
2014-10-19 銅山坑道跡(屋入) 龍郷町
特攻基地跡より少し国道寄りに、「銅山跡」と書いた案内があり、山の方に向かって道が伸びている。途中何軒かの建物があり、観音像が建っていたりする。建物の途切れたところから坂道を登っていくと少し広くなったところがあり、ここまでは数か月前にも来たことがあるのだが、特攻基地跡と同様、藪ばかりで先に進めなかった。今回は整地されていて、川に沿って先に進み橋を渡る。
山肌に隠れるようにトンネルらしきものが口を開けている。近寄ると岩がむき出しになった坑道。奥まで続いていそうだが、どれくらい深いかよく分からない。左側にコンクリートのトンネルのようなものがあるのも気になるが、手前からかなり水が溜まっていて近寄っていけない。
ここは鉱山にしては人家からそう離れていない。最初の頃は、坑道から鉱石をかついでおろして少し下の方で精錬していたという。精錬にはサンゴを割った石灰石を銅鉱石と混ぜて、木炭で溶かしていた。火をおこすために5〜6人でふいごを踏んでいた。
戦争時には、坑道を利用して横に支線を掘って魚雷を2本入れていたという。 ※参考『龍郷町誌』
いつ頃まで銅鉱石を掘っていたのかなど、詳しい子ことはよく分からない。大島で他に銅山跡があるとは聞かないが、銅が算出したのはここだけだったのだろうか。