初瀬井路 関係市町村 由布市・大分市
サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによるデータは、次のとおり。資料は、水土里ネット初瀬井路から。
私の撮影写真は、由布市については(写真2〜10)、上流部取入口(由布市狭間町櫟木阿南橋下の櫟木ダム)から、JR鬼ヶ瀬駅付近までの初瀬井路の主な現況。
大分市については(写真11〜16)、水土里ネット「初瀬疎水」の撮影場所が、初瀬井路土地改良区へ照会のところ、大分市賀来北の県道601号沿い丑殿古墳あたり上片西地区の水路と判明したため、同地区を訪ね撮影した。
初瀬井路 はつせ
大分市・由布市 大分川・東院川 用水路 総延長36.4㎞ 天正11(1583)、慶安3(1650) 、 元禄7(1694) WEB C改修 賀来・荏隈・笠和の農民のため、天正11、大友義統が東院川(賀来)〜笠和郷間12㎞余の井手(国井手)を開削。しかし、東院川は大分川の支流で水量が少なかったため、慶安3、府内藩主・日根野吉明(無継嗣断絶)が櫟木(由布市庄内町)で大分川左岸から取水し、国井手に結ぶ15㎞半の初瀬川を開削。元禄7、府内藩(大給松平家)2代藩主・松平近陳が向原(由布市挾間町)で大分川左岸から取水し国井手に結ぶ7㎞の新井路を追加開削。明治期になり3本まとめて初瀬井路と呼ばれるようになった 4 A
初瀬井路 はつせ
大分市 大分川 用水路 総延長36.4㎞ 天正年間(1573-92) WEB C改修 天正年間の荏隈郷井手、慶安3(1650)の阿南荘新井手、元禄7(1694)の向原新井手の3つの用水路の集合体 4 A