提子井手(野津原三渠) 関係市町村 由布市・大分市
サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによるデータは、次のとおり。資料は、大分県農林水産部農村整備計画課発行パンフレット「生涯を井路開発に捧げた郷土の大恩人 工藤三助」提子(ひさご)井路から。
私の撮影写真は、下・中流部から上流部取入口(由布市庄内町五ケ瀬 芹川第一発電所下流)までの主な現況。井路の詳しい説明は省く。
当時の取入口は、河原写真に九電送水管が渡っている地点に堰があった。その先は素掘りトンネルで、現在も九電送水管がこの中を通っている。この区間に一部、廃止された水路があり、石張りが残っている可能性があるが、荒れた山林内で踏査不能。トンネルを出たコンクリート塔は、発電用と農水路の水圧を調整するためらしい。
初めの写真には、由布市狭間町谷小学校内の「工藤三助顕徳碑」や、同町小野の提子公園内「提子井路之碑」を含む。
提子井手 ひさご
由布市・大分市 野津原三渠 用水 宝暦6(1756) WEB 石張りが残る 設計・施工: 肥後藩領谷村手永の惣庄屋・工藤三助、享保の大飢饉で中断し三助死亡後は、孫で三助の養子となった弁助が遺志を継ぎ、佐藤清兵衛・武四郎の協力を得て完成/それまで荒無地だった山間部に用水を引いて水田化した 2