宮ノ陣の道標 久留米市宮ノ陣2丁目
サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。所在場所がわかりにくいので、地図を載せる。
宮ノ陣の道標 みやのじん
久留米市 思案橋北 石道標 高143㎝,24㎝角 天保14(1843) 小郡市教育委員会/WEB(みさき道人) 原位置?/下3分の1で水平に折損→修復 (正面)「右 於古”ふり さ以ふ/左 たしろ 左可”」(=小郡,佐賀) 2 C
HP「豊前街道・道中記」松崎〜府中(久留米)による記録は、次のとおり。
長崎街道・田代宿から追分けて久留米へ至る「くるめ道」(久留米では肥前道と呼ぶようです)は、新宝満川の支流の思案橋川の河口に架かる思案橋、そして築後川の宮ノ陣橋の袂にあった宮地の舟渡しを経由して久留米へ入っていました。新宝満川の支流の思案橋川の河口近くに架かる思案橋の北側の袂・正面に「思案橋北側追分石(名前そのままです)」が残っていて、追分石には「左たしろ さが、右おごふり さいふ」と彫られています。なお、思案橋のすぐ東側(向かって右側)には西鉄天神大牟田線の線路、そして県道88号線が並行して走っています。
長崎街道・田代宿から思案橋までの区間はJR田代駅やJR鳥栖駅、そして鳥栖商工団地の開発により、その面影はほとんど消えてしまったようですが、田代が久留米のほぼ真北に位置することから、現在の国道3号線からそれほど離れずに続いていたものと思われます。