深澤儀太夫と野岳湖 大村市東野岳町
現地説明板は、次のとおり。
深澤儀太夫と野岳湖(全国ため池100選)
〜郷土の発展に貢献した鯨長者〜
野岳湖は、多良岳県立公園内の景勝地で、1663年(寛文3年)に造られた周囲4キロの人造湖、貯水量約
120万t、現在も122haの田畑を潤しています。平成22年3月、農林水産省が選ぶ「ため池100選」に選ばれています。
この大工事を成し遂げたのが深澤儀太夫勝清で、紀州(和歌山県太地町)で捕鯨技術を学び、大村藩に帰って鯨組をつくり、五島、壱岐などで捕鯨を行い巨万の富を得ました。儀太夫は、そのほとんどを藩のために使いましたが、その中で最も大きな功績が野岳湖の造成で、当時この周辺地域は、日照りが続けば干害、雨が続けば水害の困窮に喘いでいました。そこで儀太夫は4200両余りの経費を全て負担しました。
人力と馬だけの昔の工事で村民も協力し1年7か月かけて野岳湖が完成し、併せて新田も開墾されました。
工事をよく見に来ていたといわれる儀太夫は、大事業を成し遂げた直後に80歳で亡くなりました。墓はJR大村駅近くの長安寺にあり、市文化財となっています。毎年春に、堤防横の記念碑前で儀太夫を偲ぶ祭が行われ、その功績が語り継がれています。
野岳湖公園内にある儀太夫記念館にも、古文書などが展示され、湖のそばに建てられた「バス停」は、儀太夫に因みクジラをデザインして建てられました。
◎ 儀太夫の功績
円融寺の建立、東野岳町の平床堤築造、野田町の赤似田堤築造、富松神社の鳥居寄贈、長安寺の宝輪閣門寄贈、長崎街道大村宿に屋敷を寄贈、旧大村藩領内溜池や寺院建立。