長崎県庁玄関前の孝子ソテツ 長崎市江戸町
長崎市江戸町の長崎県庁玄関正面の植え込み。北村西望翁の彫塑像「獅子吼」の背後にある。現地説明板は、次のとおり。加津佐町に生えていた由緒ある「孝子ソテツ」を、移植している。
現在の県庁の建物は、昭和28年(1953)できてから60年が経つ。そうするとソテツの樹齢は360年以上。長崎らしい見事な巨樹名木である。
ヒマラヤスギの幹囲2.5mくらいの大木も近くにあった。Go!Go!ともっちやさるくちゃんは、こんなことも紹介してほしい。
『蘇鉄 県庁へお嫁入り』 本朝24孝の1人が植えた由緒の品
去る6月近代建築の粋を集めて新装成った県庁へ日本24孝の1孝子が親のために植えたという樹齢300年を越える由緒ある蘇鉄2本が寄贈され、27日その玄関に姿を現わした。
この蘇鉄は延宝年間南加津佐町津波見名の安永安治さん(通称久右衛門)が父安兵衛さん夫婦の老後を慰めるため現在の同名字乙名に隠居場を建てその入口両側に植えたもので、現在根本の直径一尺高さ一丈五尺に上り、年中青い葉を付け、生き生きと風格を備えている。
安治さんは朝な夕な農耕にいそしむ傍ら年老いた父母の身を案じて痒いところに手の届くように面倒を見てつかえていたが、これが領主松平忠房公の耳に聞え延宝7年12月5日召出されて町民の模範としてお誉めになった。感激した安治さんはいよいよ両親の孝養に努め、その後も度々金品を賜って領主からお誉めにあずかったことが記録に残っている。
加津佐町ではこの遺徳を讃えるため孝子の命日である4月24日を記念し、毎年「孝子祭」を催してその供養を行うとともに青年団が主体となって町内孝子の表彰などをしているが、終戦後その子孫である安永ヨシさんが外地から引揚げてから元陸相荒木貞夫大将の題字を貰って新たに孝子の碑を建立、孝子祭もより盛大に行われるようになった。
現在同家跡にはその末えい安永軍蔵氏が居住しているが、同町長栗原大島太郎氏は、今回県庁が立派に竣工したのを機会にその玄関へこの由緒ある蘇鉄を持って行って植えたら県民の敬老心の作興にまことに意義深いと思立ち軍蔵氏に話しを持ちかけたところ同氏も快く承諾”無償で県へ寄付しょう”ということになったもの。
県では”それはまことに奇篤な”と大喜びで26日トラックに載せ運搬27日周到な地ならしをして植え付けた。
〔長崎民友新聞 昭和28年8月28日(金)〕 *注意*一部を常用漢字に修正しています。