長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 1098 嵐山渡月橋(1) ほか
「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。
目録番号: 1098 嵐山渡月橋(1)
〔画像解説〕 超高精細画像
京都観光名所・嵐山の前を流れる大堰川(おおいがわ)に架かるこの橋を渡月橋という。橋の歴史は古く、平安時代初期・承和年間に、弘法大師(空海)の弟子、道昌(どうしょう)僧正が現在より200メートル程上流に橋を架け、法輪寺参詣に便宜をはかったので法輪寺橋と呼ばれた。それより440年余り経って、亀山上皇が夜空の月がさながら橋を渡るような様子をみて「くまなき月の渡るに似る」と洩らしたことから「渡月橋」と呼ばれるようになった。戦乱や洪水のため、橋は何度か架け替えられたが、写真の渡月橋は、その橋脚や橋桁などが付近の山から切り出したままの丸太材でつくられている。川面には船頭を乗せた渡し船が浮かび、橋のたもとでは男がのんびりと釣り竿をたれている。大きく枝を伸ばした桜の木のところには、後年、茶店ができて客で賑わう。右手前の石橋は、現在は北方に移された琴聞橋(ことききばし)である。
目録番号:2260 嵐山渡月橋(3)
〔画像解説〕
嵐山渡月橋を北詰から南に望む。背後の山腹には法輪寺が見える。橋の欄干横から着物姿の女性がカメラの方を見つめるなど、人々が往来している様子がうかがえる。北詰の桜の木の下では男性が釣りをしている。写真の渡月橋は明治25年(1892)に水害で流失した。右前に見える石橋は琴聞橋で、後に車折神社御旅所に移築されている。玉村康三郎撮影。
■ 確認結果
目録番号: 1098「嵐山渡月橋(1)」と、目録番号:2260「嵐山渡月橋(3)」は、同じ写真であろう。
撮影者は、「小川一真」か、「玉村廉三郎」か。目録番号: 1098「嵐山渡月橋(1)」には超高精細画像があり、「小川一真」ではないのだろうか。