長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:3006 函館港のパノラマ(4) ほか
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。
目録番号:3006 函館港のパノラマ(4)
目録番号:3007 函館港のパノラマ(5)
目録番号:3008 函館港のパノラマ(6)
目録番号:3009 函館港のパノラマ(7)
目録番号:3010 函館港のパノラマ(8)
■ 確認結果
目録番号:3006「函館港のパノラマ(4)」などは、5枚組のパノラマ写真となっている。
長崎大学附属図書館HP「古写真仮想展示会>洋風化・近代化」による、つなぎ合わせた写真と解説は、次のとおり。現在の写真は、HP「新tackyのゆったり写真館」から。
幕末の函館の市街
慶応3年−明治5年(1867−1872年)頃の函館市街。
明治2年(1869年)までは箱館と表記された。右端に見えているのは文久3年(1863年)完成の弁天岬台場である。1854年下田での日米和親条約にもとづき、箱館は開港を約され、ペリ−の艦隊は箱館を視察した。
箱館は松前藩から幕府に上地され維新まで箱館奉行により統治された。開港後、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、オランダの各国人が在留した。