被爆した岩や石など 穴弘法岩・長大医学部裏門・浦上天主堂ほか
昭和20年8月9日の原爆に被爆した長崎ならではの岩や石造物などの遺構の一部。
江平1丁目の山手にある穴弘法奥の院霊泉寺内の奇岩は、上にのっている岩は原爆の爆風によってずれた状態が今もそのまま残っている(布袋氏著)。陽石ともされる。
坂本1丁目の長崎大学医学部裏門の大きな門柱。当時は長崎医科大学。左の門柱のみ傾いていて、爆風の強さがよくわかる。裏門へは大学病院の道から入る。
本尾町の浦上天主堂の左側、川端の石垣内に惨状をそのまま知るため残されている鐘楼の赤レンガ。聖堂の廃墟の一部は、平和公園原爆中心碑近くに残されている。
坂本2丁目の山王神社の有名な被爆鳥居。片足だけが残っている。境内には被爆クスノキの大きな2本もあり、苗木が各地で育っている。
最後は長崎要塞地帯(区域)標調査で見かけた浜平1丁目1街区、浜平中央ビル下角にある「陸軍所轄地」標石。上部分が黒く焼けており、原爆の熱線を受けた跡と思われる。