光雲寺にある石橋の親柱  出来大工町

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光雲寺にある石橋の親柱  出来大工町

長崎市出来大工町の光雲寺にある。諏訪神社前電停のすぐ近く。寺はビル上に再建され、近くの旧大手橋(親和銀行馬町支店脇)の親柱が入口門柱となり、旧阿弥陀橋(伊勢神宮脇高麗橋のあと一つ上流側)の親柱が階段踊り場に据えられている。
岩永弘著「長崎周辺”石・岩・陰陽石”」2002年新春刊51頁による説明は次のとおり。

光雲寺は曹洞宗のお寺で、国道34号線拡張により寺地が縮小されたので、今はビルの3階にある。諏訪神社前電停から少し先の中島川畔にあり、案外静かな所である。此処に二種類の親柱が据えてある。

a)寺入り口の門柱として据えられて擬宝珠親柱は、その昔諏訪神社下、新大工町に入る大手橋に取り付けられていたものである。即ち石橋は慶安3年(1650)唐大通事・高一覧が浄財を集めて架けたものである。
現在、大手橋の下アーチは昔のまま残り、上部分が補強舗装されている。

b)坂段途中の踊り場(庭)にある擬宝珠親柱は、元禄3年(1690)慈善事業に尽くした園山善爾が私財を投じて架けた阿弥陀橋のものである。阿弥陀橋は伊勢町の伊勢神宮前に架かる高麗橋上流側の橋で、昭和57年(1982)7月23日長崎大水害後、新たに架け直された。銘板を見ると昭和62年(1987)3月架設となっている。
〔参考〕園山善爾:側にある阿弥陀堂の阿弥陀如来台座に園山善爾の名が読み取れる。又下流側の光永寺境内には園山善爾の石像を納めた石祠がある。

なお、本河内町日見トンネル西口の文明堂の庭に、蛍茶屋の一ノ瀬橋の親柱と思われるものが据えられている。