小浦波止場御船蔵跡と浜石・投光の怪

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小浦波止場御船蔵跡と浜石・投光の怪

長崎市の西部地区、福田は大浜、次は小浦、そして福田本町となる。小浦の海岸通りは久保工業の大きな工場があったが、小江工業団地へ移転したため、今は取り壊され、すっきりした道が造られている。
小浦の波止場はその川先にある。長崎が開港する前、福田浦がまず開港された。江越先生によると、この小浦の波止場は、昔の姿が今もよく残っていて市内でも珍しい。ここは船津という。

調べてみたら荒木正人稿「新編 長崎名勝図絵」(長崎文献社平成10年刊「長崎町人誌第六巻」256頁)に次のとおりあった。
小浦波止場御船蔵跡 この波止場は文化六年(一八〇九)に構築され、南蛮船が沖に現われたとき、番所の役人がただちにうち乗って出船する、船のたまり場である。弘化三年(一八四六)警備する役人の詰所として御船蔵が建てられた。

次は国道の反対となる外海の海岸側。いつも通りかかって浜の岩場に船の繋石らしい石柱が数本立っているのは気になっていた。平成19年8月15日、浜に下りて確認してみた。6本ある。古いのもあるが、新しいのもある。コンクリートの大きな角片も近くに散乱している。
石柱は、海岸の穴にまずこれを立て、それをコンクリートで塗布し、電柱のようなものにしたような形跡がある。古いのはそのはがれたもののようである。防波堤の何か施設跡か。先の御船蔵の繋船用でもあり、単純に考えると部落のペーロン行事に立てられる竹竿のくくり石とも考えられる。

最後は夕暮れの写真。小浦市営アパート塔屋背後の山中の小さな1点を写した。白く写ってしまったが、これは昼間通りかかっても、山中に青色の投光がいつも光っている。鶴見台森田氏によると飽の浦変電所上にもあるらしい。何なのか。確認してないが、船舶の航路目印か、航空機の空路目印ではないだろうか。