島原街道の田結にある道案内標石 諌早市飯盛町里
長崎学さるく行事で5月31日、島原街道を矢上から江の浦まで歩いた。講師の諌早市郷土館織田先生が教えてくれた標石。国道251号線は、東田結交差点で池下・大門を回ってきたもう一方の国道と合い、カーブして田結川を渡る。
川の国道ガード下にかがんで通る小橋がある。この小橋の道が昔の島原街道となる。渡ってコンクリート舗装した里道を登って行くと、すぐの三叉路に道案内の標石が立っていた。
正面「←江ノ浦 有喜 島原 諫早、→戸石 矢上 長崎方面」、右側面「→西明寺ヲ経テ江ノ浦 船津」、左側面「寺平青年団」の刻み。14cm角、高さ55cmの標柱。年代の刻みはない。新しい感じがする。先生の話では大正時代のものでなかろうかということ。
この小道をまっすぐ登ると、国道から中村三郎の歌碑がある西明寺へ上がる車道にいったん出た。だからこのあたりの地名は寺平であろう。島原街道は2つある現在の飯盛トンネル上へと登って行った。
青年団が建てた道案内の標石は、長崎市茂木町の河平川谷間に例がある。「戸町ニ至ル」「昭和三年十一月 御大典紀念 河平青年団」。これと似たような造りと彫りで、田結の標石の年代は、やはりこのあたりであろう。