龍郷湾のカキ(平家漁法・跡) 龍郷町瀬留
サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。国道58号の龍郷町役場前から県道41号に入り、龍郷湾を今井崎の方へ向かう。龍瀬小学校がある龍留バス停を過ぎ、しばらく行くと、右海岸側に「平家漁法跡」の案内板がある。長さ約100m、高さ約50cm。
龍郷湾のカキ(平家漁法・跡) たつご
(大島)龍郷町(奄美大島) 瀬留 魚垣 江戸期? WEB(みさき道人) /WEB 形は残っているが、管理や補修は行われていない 奄美群島に伝わる平家落人伝説では、平行盛(12世紀)は壇ノ浦の戦い後に奄美まで落ち延びたとされる→その臣・今井権太夫と蒲生左衛門が思いついたとされるが、真偽のほどは不明 2 C
ブログ「大奄美史」紀行による記事は、次のとおり。
2014-01-18 平家漁法跡 (瀬留) 龍郷町 平家伝説
平家漁法跡は龍郷の「歴史とロマンの散歩道」の7番目の史跡になっている。石垣を積んで満潮時に中に入った魚を、干潮時に捕まえるという素朴な漁法である。
行盛神社境内の案内には、「行盛公は、地域の方々に農業(特に稲作の普及)と漁獲方法を教え」とあるが、これがその漁獲方法だろうか。ちょっと眉唾ものであるが、それくらい古くからある漁法ということなのだろう。
口碑によれば、行盛の臣今井権太夫と蒲生左衛門は遠見番として何事もなく日を過ごしたが、余りの徒然さに、干潟に石を畳んで垣を繞らし、満潮とともに上って来る魚をその中に閉じ込め、潮の引いた時に捕える方法を考え出して、毎日漁獲を楽しみにしていた。…
大島で魚を捕獲する石垣はこの時から始まったもので、これがその後広く行われて今日に至ったということである。 〜大奄美史より〜
加計呂麻島の木慈の海岸でも同じようなものを見たが、こちらは単に垣漁跡と呼ばれている。