とうれぎ土塁 基山町宮浦
現地説明板は、次のとおり。JR基山駅から基山町役場へ向かうと、県道300号に入る玉虫交差点を曲がったすぐ先の左側にある。
関屋土塁跡は、JRと国道3号線に寸断され、今は若宮神社下に標識しかないそうだ。
とうれぎ土塁
本土塁は、基肄城及び基肄郡に関連した防衛施設として築堤されたものと考えられている。
昭和50年度の調査で、この土塁より版築状にかためられた土層が確認されたことから、宮浦字宿に所存する関屋土塁との類似性が認められ、ほぼ同時期の築堤と考えらる。
なお、本土塁は、向平原丘陵と千塔山丘陵の間約350メートルを結んでいたと思われる。
昭和60年3月 基山町教育委員会
サイト「近世以前の土木・産業遺産」佐賀県リストのデータに、次のとおり登載された。
とうれぎ土塁・跡
(三養基)基山町 土塁 天智3(664)? WEB/WEB(みさき道人) 保存状態は良好 大宰府防衛のために築かれた基肄城の関連施設/水城と似ている 2 B