大野小学校のセンダン 大野城市瓦田3丁目
大野城市HPの「大野城市の指定文化財」による説明は、次のとおり。県道112号瓦田橋の少し南の路地からか、またはまるとぴあ前交差点から南西の方へ曙町3丁目角を曲がって、大野小学校正門へ行く。
センダンの木
センダンの木は、大野城市瓦田三丁目800番地の大野小学校の校庭にそびえ立っています。
この木は、1994年(平成6年)3月18日に大野城市の天然記念物に指定されました。センダンの木は、センダン科の樹木で熱帯アジアに広く分布している落葉の高木です。日本では、九州や四国でよく見かける木で、初夏には、小さな紫色の花が房状に咲き、秋には、1センチメートルあまりの黄色い実を付けます。
大野小学校のセンダンの木は、高さが約9.8メートルで、幹周りが、約2.5メートルあり、樹齢は、150年から200年と推定されています。このような大木を見かけるのは、市内はもとより、周辺地域を含めて稀なことです。
大野小学校のシンボルとしてのセンダンの木は、大正3年旌表旗(せいひょうき)受賞を記念して、大野城市の牛頸の山中から移植された老木です。植樹当日は、牛頸小学校の子どもたちも参加しての大がかりな事業であったようです。今は、運動場のまん中にそびえ立っていますが、当時は、運動場と民家の境に植えられたそうです。
しかし、たび重なる校庭の拡張工事によって、現在のように運動場のほぼ中心に位置するようになりました。ところが、台風の被害にあってから、めっきり衰弱してしまいましたので、学校と地域住民で元のような元気なセンダンの木にしようという運動が起こりました。そうして、樹木医による治療を続けた結果、今では、緑の葉をいっぱいに茂らせ、見違えるほど元気になりました。もともと、大野小学校の校庭にセンダンの木を植えるようになったのは、大野小学校の子どもたちがすぐれた素質を子どもの時から磨き育てていくこと、そして、大きな心を持った人間に育つことを願ってだそうです。
文学作品に見るセンダン
センダンは、古くは、楝(あふち)(現代表記では、おうち)と呼ばれ、文学作品の中にも散見し、古い時代から近畿地方でも見られたようです。
「木のさまにくけれど、楝の花いとをかし、かれがれにさまことに咲きてかならず五月五日にあふもをかし」と清少納言の枕草子(三十七)の中に書かれています。
また、「妹(いも)が見し 楝の花は 散りぬべし 我が泣く涙 いまだ干なくに」と万葉集(巻5−798)に詠まれています。
センダンの集い
大野小学校では、毎年、学校全体で人々を勇気づけてくれるセンダンの木に感謝する「センダンの集い」を実施し、楽しいひとときを過ごしています。また、校庭からは、センダンの木の下で遊びまわる子どもたちの歓声がいつも聞こえてきます。子どもたちはもちろんのこと、一般市民も、200年あまりの歴史を見つめてきた、このセンダンの木を眺め昔を思い起こすとともに、特に夏は、涼しさを求めて木の下に集まり、楽しい憩いの場にもなっています。そして、秋から初冬にかけて、えさを求めて多くの鳥たちが黄色い実をついばんでいる様子をよく見かけます。この貴重なセンダンの木を末永く、みんなの力で保存していきたいものです。