仲絶の二里石 みやま市瀬高町下庄仲絶
庄福BICサイト「三池街道 みやま市編」による説明は、次のとおり。国道209号みやま市真木交差点から旧三池街道に入り、夜鳴き観音を過ぎしばらく北上すると、道脇に新しく建てられた「二里石」がある。右手に国道の瀬高警察署建物が見えるあたり。
【一里木(いちりき)】 瀬高町下庄仲絶
道路標識などない時代に通行人の目印になるような木を柳川城から二里(8km)の地点、仲絶に植えたのでしょう。通行する人々にとって周りの風景とこの一里木が場所の目安となりここの集落を「一里木」と呼ぶようになった。正確には二里木(8km)になり、後に二里石に改められました。
戦国時代の天正年中、肥前勢となった、元大木城主の大木統光が宮園城を攻めたが,逆に城主の今村舎人(とねり)に、ここの街道で追い討ちにされ惨敗。統光は命からがら矢部川に追い込まれて川中にて追い付かれ右足を高股より切り落とされている(今村家記)。江戸初期の貞享4年(1687)の観世音菩薩の石像と十坪余の仏堂がある。「夜鳴き観音」と呼ばれ近隣からの参拝客で賑わった。前の道が三池街道で行き交う旅人も参拝し休憩したであろう。江戸後期から下庄の八朔祭り時には恭(うやうや)しく神を迎える門「ちょうぎり」が部落に建てられました。